神社は昔から一郷一村の心の鏡であり、また日本民族の魂のふるさとであると言い伝えられています。
当社は、明治初年の神仏分離以前は山麓の大岩寺という寺院が維持管理していましたが、大岩寺がしばしば火災に遭い、記録類一切を失いましたので、神社の創建年代は明らかではありません。
社伝によれば、第60代の主上、醍醐天皇が御足痛に苦しみなさった時、夢に足尾の神が現れたので、遠く足尾の山を遥拝なさったところ、 たちまち快癒なさったとのことです。御足痛の全快を喜ばれた醍醐天皇は、紙に御足形を印し、「日本最初足尾神社」の勅額を下賜されましたが、その勅額が野火により焼失したので、寛正5年(1464・室町時代)6月、御所へ再下賜を頗い出たところ、再び勅額と菊桐入り喇石の下賜があったと伝えられています。当時の御立会・井関大蔵卿外4名の令旨書を足尾山別当が代々伝えてきましたが、神仏分離の混乱期に散逸してしまいました。
以上のように社伝に醍醐天皇の御名があらわれ、また式内社の「夷針神社」は当社を指すとする説が有力で、全国式内社一覧にも記載されていることからしても、当社が全国的に見ても由緒ある古社であることが明らかです。
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